鎌倉時代初期、甲斐源氏の支流にあたる小笠原長清は信濃守に任ぜられ、六男・時長に伴野荘を与えた。時長は現佐久市野沢に館を構えた。これが伴野氏の始まりであるという。しかし弘安8年(1285)、霜月騒動によって伴野氏嫡流は途絶え、支族が再興の機会をうかがった。
戦国時代になると、同じく佐久に勢力を持っていた大井氏と対立し、詰めの城としてこの前山城を築城したようだ。大井氏との対立では、同じく大井氏と対立していた甲斐国の武田氏の援軍を得ており、武田家との友好関係を築いていった。
佐久の土豪としては唯一、武田家の佐久進攻に友好的で、天文15年(1546)5月、武田晴信(信玄)が大井氏の内山城を攻める際には前山城に布陣している。
天正10年(1582)、武田家が滅亡すると織田家の滝川一益の所領となるが、織田信長が本能寺の変で死亡、今度は北条領となる。しかし、徳川家康配下の依田信蕃に攻められ前山城は兵火に焼かれ落城、城主・伴野信守も討ち死にした。
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