佐久戦国記 〜城編〜
- 佐久の城 -
海尻城 南牧村海尻
前山城 佐久市前山
小諸城 小諸市古城
 
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佐久戦国年表
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『前山城』

武田信玄、佐久平定の拠点

名称 前山城
築城者 伴野光利
築城年 文明年間
城の種類 山城
遺構 曲輪、堀切
所在地 長野県佐久市前山
アクセス 上信越自動車道佐久ICから車で約15分

■歴史・伝承

 鎌倉時代初期、甲斐源氏の支流にあたる小笠原長清は信濃守に任ぜられ、六男・時長に伴野荘を与えた。時長は現佐久市野沢に館を構えた。これが伴野氏の始まりであるという。しかし弘安8年(1285)、霜月騒動によって伴野氏嫡流は途絶え、支族が再興の機会をうかがった。

 戦国時代になると、同じく佐久に勢力を持っていた大井氏と対立し、詰めの城としてこの前山城を築城したようだ。大井氏との対立では、同じく大井氏と対立していた甲斐国の武田氏の援軍を得ており、武田家との友好関係を築いていった。
 佐久の土豪としては唯一、武田家の佐久進攻に友好的で、天文15年(1546)5月、武田晴信(信玄)が大井氏の内山城を攻める際には前山城に布陣している。
 天正10年(1582)、武田家が滅亡すると織田家の滝川一益の所領となるが、織田信長が本能寺の変で死亡、今度は北条領となる。しかし、徳川家康配下の依田信蕃に攻められ前山城は兵火に焼かれ落城、城主・伴野信守も討ち死にした。


主郭址には小さな神社が建立されている 中央の山の頂上に前山城址がある

 前山城登り口。近くに駐車できるスペースはないので注意。途中、竹やぶやリンゴ畑を通りつつ10分程度山道を登れば主郭に出ることができる。

 二郭からは佐久平を一望できる。左側の山は浅間山。噴煙があがっているのがわかるだろうか。

 蓼科山の支脈先端に築かれた前山城は堀切で尾根と切り離されている。

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